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献木祭
稲積神社が所蔵する文献によると、献木の記録は昭和8年からあり(それ以前は不明)、当所が組織した稲積神社奉讃会が甲府市の繁栄をもたらそうと奉讃特売市を甲府市で一斉に挙行し、甲府市の商工業振興祈願の神木として毎年献木することから始まりました。
又、稲積神社の崇拝・美化(当時神社仏閣は正に神格的な存在)のため、毎年神木を奉るとも記されています。
戦時中の一時期は中断を余儀なくされましたが、戦後すぐに献木が再開され、昭和21年の山田新太郎第9代会頭時代からは、これまでの商工業振興祈願から、戦火で焼け爛れた甲府市に美しい緑を取り戻す、ということに主眼が置かれるようになりました。
昭和24年のみ、当所から継承された形で、甲府芸子組合と甲府消防組合が行い、戦後の復興、神社の再建、甲府市の反映を祈願しました。
現在では、早期景気回復という意味合いが強くなっていますが、いつの時代も一貫している趣旨は、「甲府市の商工業の振興・発展」と言えます。甲府商工会議所と献木祭とのつながり
衣食住生活のすべてを司る神を祭る稲積神社と、人々の生活と密接に関係する産業界を統括する当所とは、昭和8年当時から当所歴代会頭が稲積神社奉讃会の会長を務めるなど、献木祭を通じて当時から深い関わりを保ち続けています。
近年は、当所関係者のほか、甲府市観光協会、甲府商店街連盟なども関わるようになり、稲積神社「正の木祭り」の一環の神事として植樹を行っています。
最近の献木
平成8年から10年間は「梅の木」、平成18年からの8年間は「ツゲの木」、平成26年から「サカキ」を献木。
又、今回の植樹場所は、昨年に続き、稲積神社初代宮司 輿石守郷(もりさと)氏の歌碑近くに植樹。同歌碑が建立され平成27年で100周年を迎えたのを機に、同年から数年かけ歌碑周辺を緑で彩る予定です。上古時代、今から約2,080年前、湖沼地帯であった甲府盆地を、第十代崇神(すじん)天皇の御代、四道将軍(しどうしょうぐん) 武淳川別命東征(たけぬなかわけのみこととうせい)の折、御入国があり、湖岸を切り開き湖水を富士川に落として涸燥して田圃を造り、蒼生愛撫、五穀豊穣祈願のため、丸山(今の舞鶴城址)に奉斎(神を祀る)したと伝えられています。
甲斐源氏の祖、一条次郎忠頼丸山(いちじょうじろうただよりまるやま)がこの地に館するにあたり庄城稲荷と呼ばれ、氏神として甲斐源氏一条忠頼一族の崇敬するところとなっていましたが、文録年中浅野長政の築城で一蓮寺と共に現地に遷されました。
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